天皇の国史 第四章 日本の近世
竹田恒泰 著
織田信長は「破壊者」の側面ばかりが強調されてきたが、実は勤皇家で、保守主義者だっ
たと結論することができる。P384
秀吉の死によって俄かに浮上したのが秀吉政権の五大老の筆頭徳川家康である。慶長
五年(一六〇〇)、反家康の石田三成が挙兵し、家康を支持する福島正則らと関ヶ原で
激突し、家康側の東軍に軍配が上がった。この天下分け目の戦いにより安土桃山時代は
終わり、江戸時代に入る。P391
本居宣長はこの難解な書物を読み解くのに三十五年の月日を費やした。現在「古事記」
を簡単に読めるのは、宣長の研究の賜物といえる。宣長は日本人の精神性を
「しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山ざくら花」
と表現し「漢心(からごころ)」を排し「真心(やまとごころ)」の重要性を説いた。
P412
嘉永六年(一八五三)、米国の東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる米国艦隊
が浦賀沖(神奈川県)に現れ、開国を要求すると、日本は激動の時代に突入する。これ
まで天皇は御簾の奥深くに鎮座するものいわぬ存在だった。だが時代は天皇を政治の
表舞台に引きずり出したのである。P427
天皇の国史
第一章 日本の神代・先史
岸信夫(防衛大臣)Twitter
長崎県知事からの要請により部隊を派遣。災害救助等対応に万全を期して参ります。
一色正春さんTwitter
自国の戦死者を、威儀を正して最高の儀礼を以て追悼することを禁じられた国民が、
この地上のどこにあっただろうか。国人よ、誰に謝罪するより前にそのことを嘆け。
そして、決して屈するな
2021年8月15日(日曜日)
本日までお休みを頂いています。